【弁護士解説】「あの人しか分からない」はIPO延期のもと。ベンチャーの「脱属人化」と「業務仕組化」の極意

ベンチャー法務とは
弁護士町田北斗

ベンチャー起業の法務を専門とし、社内弁護士として企業の成長を法的側面から支えています。
当サイトでは、単なる事務処理ではない「経営に貢献できる法務」になるための実務ノウハウを公開。
契約書審査からIPO準備、労務戦略まで、現場で本当に役立つ「攻めと守りのリーガルビジネスマインド」をお伝えします。

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「この件は、Aさんしか分かりません」
「Bさんが風邪で休んでいるので、契約審査が止まっています」

もしあなたの会社でこのような会話が日常的に交わされているなら、IPO(上場)はまだまだ遠い先の話です。 ベンチャー初期において、「特定のスーパー社員」が獅子奮迅の働きで会社を支えることは素晴らしいことです。

しかし、IPO審査のステージに入った瞬間、その**「属人性」は最大のリスク要因(キーマンリスク)**とみなされます。

上場審査で見られるのは、社員個人の能力ではありません。
「担当者が明日全員入れ替わっても、会社が回り続けるか」です。

今回は、法務担当者がリードすべき「業務の仕組化」と「脱属人化」のプロセスについて解説します。


1. なぜIPO審査で「属人化」が嫌われるのか

証券会社や監査法人が、業務の属人化を徹底的に嫌う理由はシンプルです。
「再現性」と「継続性」がないからです。

  • 不正の温床になる: 特定の人だけが業務をブラックボックス化していると、横領や不正会計があっても誰も気づけません(内部牽制が効かない)。
  • 事業継続性の欠如: その「スーパー社員」が退職したり、事故に遭ったりした瞬間、会社の機能が停止するようでは、投資家は怖くてお金を出せません。

法務の視点で見れば、属人化の解消は単なる「マニュアル作り」ではなく、「内部統制(J-SOX)の構築」そのものなのです。


「スーパー社員」はリスク要因? IPO審査で指摘される属人化の事例

「あの人に任せておけば安心」という現場の信頼は、監査の視点では「あの人が魔が差したら終わり(または倒れたら終わり)」という最大級の管理不備とみなされます。

属人化している業務エリア具体的な「ブラックボックス」状態(現場のNG事例)IPO審査員・投資家が見るリスク(なぜ上場できないのか)
経理・財務
(お金の管理)
「通帳と印鑑、両方持ってます」
経理担当Aさんが一人で入出金を行い、会計ソフトへの入力も一人で行い、誰もダブルチェックしていない。
【横領・粉飾の温床】
「職務分掌(役割分担)」が機能していません。Aさんが会社の金を使い込み、帳簿をごまかしても、誰も気づけない状態です。
開発・IT
(システム管理)
「CTOしかパスワードを知らない」
サーバーのルート権限や、コア技術のソースコードの場所をCTOだけが把握しており、ドキュメント(仕様書)がない。
【事業継続性の欠如(BCP)】
もしCTOが交通事故に遭ったり、喧嘩別れで退職したら、翌日からサービスが停止し、顧客に損害賠償すらできなくなります。
営業・契約
(売上管理)
「契約書は俺の机の中」
トップセールスマンが、自分独自のフォーマットで契約を結び、契約書原本を個人の引き出しやPCに保管している。
【簿外債務のリスク】
会社が把握していない「不利な特約(何かあったら全額返金など)」が隠されている可能性があり、将来の訴訟リスクを測定できません。
労務・人事
(給与計算)
「計算式は私の頭の中」
給与計算や残業代の算出ロジックが複雑怪奇で、古参の総務担当者にしか計算できない(Excel職人化)。
【未払い賃金トラブル】
法定の計算方法とズレていても誰も指摘できません。上場直前に「実は数千万円の未払い残業代がある」と発覚し、審査がストップします。

法務の視点:解決策は「相互牽制

IPO審査をクリアするためのキーワードは、**「相互牽制」です。

これは、「一つの業務を必ず二人以上で分担し、お互いに監視し合う仕組み」**のことです。

  • NG: Aさんが「発注」して「支払う」。
  • OK: Aさんが「発注(起案)」し、Bさんが「承認」し、Cさんが「支払う」。

法務担当者の役割は、規程やワークフローシステムを通じて、この「一人で完結させないルート」を強制的に作ることです。

「社員を疑うのか!」と反発されることもありますが、**「社員を疑わなくて済むように、仕組みで守るのです」**と説得するのが定石です。

2. 暗黙知を形式知へ。「仕組化」の3ステップ

では、具体的にどうやって業務を標準化していくのか。カオスな現場を整理するための3つのステップを紹介します。

① 業務の「棚卸し」と「可視化」

まず、各担当者が「何をやっているのか」をすべて書き出させます。 ここで重要なのは、「頭の中にある手順」を言語化させることです。 「契約書チェック」という一行ではなく、「Wordを開く→条項検索→過去の類似案件と比較→コメント追記」といったレベルまで分解します。

「仕事の名前」で終わらせない! 業務分解(プロセス分解)のビフォーアフター

属人化している業務は、担当者の頭の中で「高速な判断」と「複数のツールの往復」が行われています。
それをスローモーションのようにコマ送りで書き出す作業が「棚卸し」です。

業務・部署① 担当者が書きがちな「ざっくり」した記述(NG)② マニュアル化に必要な「分解・可視化」された記述(OK)洗い出される「隠れたノウハウ・判断基準」
法務
(契約審査)
「NDAのレビューを行う」
(一行で終了)
1. 相手方の住所・社名を登記情報と照合する

2. 自社ひな形(ver2.0)と条文比較する

3. 「損害賠償」の上限額有無を確認する

4. 修正履歴(赤ペン)を入れて返送用保存
【リスク許容度】
「どこまでなら妥協していいか」という、担当者独自の判断基準がステップ3に隠れています。
営業事務
(見積作成)
「見積書を作成し送付」
(誰でもできそうに見える)
1. CRMで顧客ランク(A〜C)を確認

2. ランクに応じた掛率(0.7〜0.9)を適用

3. 粗利が20%を切る場合は部長承認を得る

4. PDF化し、パスワード付きでメール送信
【承認の境界線】
「いくらから上司のハンコが必要か」という社内ルールの適用漏れや、属人的な値引きを防げます。
経理
(月次支払)
「請求書を処理して振込」
(作業に見える)
1. 請求書と発注書(納品書)を突き合わせる

2. 支払サイト(月末締め翌末払い等)を確認

3. ネットバンキングで振込先口座を入力

4. 第2パスワードで承認実行
【不正チェックの勘所】
「架空請求を見抜くためにどこを見ているか」という熟練の監査視点がステップ1に含まれています。
総務・IT
(入社手続)
「アカウント発行とPC手配」
(簡単そうに見える)
1. 在庫PCのスペック確認・初期化

2. Google Workspaceでアカウント作成

3. Slack、Notion、SmartHRの招待送付

4. 権限設定(正社員or業務委託)の切替
【セキュリティ設定】
「雇用形態によってアクセス権限をどう変えているか」という、セキュリティ上の重要手順が可視化されます。

なぜここまで細かく書くのか?

それは、「判断」と「作業」を切り分けるためです。

  • 作業(ツールを開く、入力するなど): アルバイトやRPA(自動化ツール)に任せられる。
  • 判断(〇〇なら承認する、△△なら修正するなど): 社員がやるべき、あるいはAIに学習させるべきコア業務。

「ざっくりした記述」のままだと、この区別がつかず、いつまでも高給取りの社員が単純作業(コピペなど)をやり続けることになります。IPO準備における業務フロー構築は、この「判断基準の吸い出し」こそが本質です。

② 「例外」を潰して「標準」を作る

ベンチャーでは「今回は特別に」という例外処理が横行しがちです。 法務は鬼になって、この例外を削ぎ落とします。 「値引きは営業部長決裁」「契約書の修正は法務確認必須」といった**分岐ルール(業務フロー図)**を固定し、誰がやっても同じ結果になるようにルートを整備します。

IPO審査では、「例外を認めないこと」ではなく、**「例外が発生した時に、誰がどう決めるかが定義されていること」**が求められます。


「今回だけ」は禁止! “例外”を”分岐処理”に変える業務標準化

ベンチャー企業では、売上を立てるために「社長の鶴の一声」や「営業現場の独断」で無理を通しがちです。

しかし、これらを放置すると、後で「回収できない売掛金」や「不利な契約」という負債になります。法務は鬼となって、以下の分岐ルール(条件分岐)をシステムに実装する必要があります。

業務シーン① 現場で横行する「例外」(カオスな状態)② 法務が定める「標準分岐ルール」(IF-THENの固定)期待される効果(内部統制)
値引き交渉
(ディスカウント)
「今回だけ半額にします!」
営業マンが自分のノルマ達成のために、独断で大幅な値引きや無料期間を約束してしまう。
【IF:値引率で分岐】
● 10%未満 → 課長承認でOK
● 10%〜20% → 部長承認が必須
● 20%超 → 取締役会決議が必要
【利益率の確保】
安易な安売りができなくなり、赤字受注を構造的にブロックできます。
契約書の修正
(ひな形の変更)
「先方のひな形でいいですよ」
早く契約したいあまり、相手が出してきた(自社に不利な)契約書を、ノーチェックで受け入れる。
【IF:修正内容で分岐】
● 誤字脱字の修正 → 担当者判断
● 自社ひな形の使用 → 上長承認
● 先方ひな形 or 条項変更 → 法務部の査閲必須
【リーガルリスクの回避】
「損害賠償が無制限」などの危険な条項が、法務の目を通らずにスルーされる事故を防ぎます。
支払サイト
(入金タイミング)
「支払いは半年後でいいです」
契約を取りたいがために、回収サイトを勝手に延ばし、自社のキャッシュフローを悪化させる。
【IF:サイト期間で分岐】
● 月末締め翌月末払い → 標準(承認不要)
● それ以上の期間延長 → **CFO(財務担当役員)の承認必須
【黒字倒産の防止】
現場の「売りたい」気持ちと、会社の「資金繰り」のバランスを、ルールで強制的に取らせます。
特別対応
(機能開発など)
「御社専用にカスタマイズします」
SaaSなのに、特定の大手顧客のために開発リソースを割き、本来のロードマップを狂わせる。
【IF:開発工数で分岐】
● 設定変更のみ → PM承認
● コード改修が必要 → 開発本部長と経営会議**の承認
【リソースの最適化】
安請け合いによる「開発部門の疲弊」を防ぎ、製品全体の方向性を守ります。

法務の役割は「交通整理」

この作業は、現場の自由を奪うように見えますが、実は**「迷いをなくす」作業です。

「どこまでなら自分で決めていいのか」「どこからは上司に投げればいいのか」という権限の境界線(Threshold)**が明確になるため、結果として現場の意思決定スピードは上がります。

IPO準備の鉄則:

「例外」をゼロにする必要はありません。

**「例外処理」という名前の「標準フロー」**を作ればいいのです。

③ ツールによる「強制力」の実装

マニュアルを作っても、人は読みません。ここでITツールの出番です。 ワークフローシステムや契約管理システムを導入し、**「その手順を踏まないと、システム的に次に進めない」**状態を作ります。 「気をつける」という精神論ではなく、「システムが許さない」という強制力が、脱属人化の最終形です。

気をつける」は無意味! ツールによる「強制ロック(Physical Block)」の実装例

マニュアルに「必須」と書くのではなく、システム上で「必須項目(入力しないとボタンが押せない)」に設定する。

これだけで、教育コストはゼロになり、コンプライアンス違反は物理的に不可能になります。

業務プロセス① 人の注意に頼る「精神論」管理(ミス・不正の温床)② ツールによる「強制力」の実装(物理的な制御)実現する状態(システム統制)
稟議・決裁
(お金の承認)
「承認をもらってから発注してね」
口を酸っぱくして言っても、急ぎの案件では「後で承認もらいます」と先に発注してしまう(事後承諾の常態化)。
【システム連携ロック】
ワークフローシステムで「承認完了」のステータスにならない限り、会計システム側で**「発注書発行ボタン」がグレーアウトして押せない**ようにする。
【フライングの撲滅】
「承認なき発注」が物理的に不可能になり、プロセスの順序が強制的に守られます。
契約書作成
(法務チェック)
「勝手に条文を変えないでね」
Wordファイルを渡すと、営業担当者が勝手に有利な条件を書き換えたり、古いバージョンのひな形を使ってしまう。
【編集権限の制限】
契約管理システム(CLM)上で、「金額」と「日付」以外は入力不可にする。条文の変更には法務のロック解除パスワードを必須とする。
【勝手な改変の防止】
法務が認めた条文以外で契約が結ばれるリスク(リーガルリスク)をゼロにします。
経費精算
(交際費)
「5,000円超は会議費にしないでね」
マニュアルには書いてあるが、計算ミスや勘違いで、上限を超えた金額でも申請されてしまい、経理が目視で弾く手間がかかる。
【バリデーション(入力規則)】
経費精算システムで、「5,001円以上」を入力した瞬間にエラーを出し、申請ボタンを押せなくする(または要理由入力を強制する)。
【規程の自動遵守】
経理担当者がいちいちチェックしなくても、申請された時点でルール適合率100%が保証されます。
アカウント管理
(退職処理)
「退職したらすぐにID消してね」
情シスの担当者が忙しくて削除を忘れ、退職者が自宅から社内システムにアクセスできてしまう(情報漏洩)。
【API連携による自動削除】
労務ソフト(SmartHR等)で「退職」ステータスに変更すると、即時に全システムのIDが**自動的に無効化(Revoke)**される連携を組む。
【セキュリティの穴塞ぎ】
人為的な「忘れ」を排除し、退職した瞬間にアクセス権限が確実に遮断されます。

脱属人化の最終形:「システムが上司」

この段階まで来ると、新入社員が入っても「マニュアルを読んで覚えてね」と言う必要がなくなります。

**「画面の指示通りに進めば、勝手にルール通りになる」**からです。

IPO審査においても、「当社は社員教育を徹底しています」と言うより、「当社のシステムは、不正な操作を受け付けない仕様になっています」と説明する方が、監査人の信頼は圧倒的に高くなります。

3. 「自分の仕事がなくなる」という抵抗勢力への対処法

脱属人化を進めると、古参社員から必ず反発があります。 「私の仕事をマニュアル化して、私をクビにする気ですか?」 「私のやり方のほうが速いです」

こうした心理的抵抗に対して、法務担当者は次のように説得する必要があります。

「あなたの仕事は、ルーチンワークを回すことではありません。そのルーチンを設計し、改善することです」

業務を仕組化して、誰にでもできる作業は新人やシステムに任せる。
そして浮いた時間で、より高度な経営課題や戦略業務に取り組んでもらう。
「仕組化は、あなたのキャリアを『作業者』から『管理者』に引き上げるためのステップだ」というメッセージを伝え続けることが重要です。

「私をクビにする気ですか?」抵抗勢力を味方に変える説得スクリプト

脱属人化プロジェクトにおける最大の壁は、システムではなく「人の感情」です。

特に創業期から支えてきたメンバーほど、「自分しか知らない業務」にアイデンティティ(と雇用の安定)を感じています。この誤解を解くことがスタートラインです。

抵抗勢力(古参社員)の言い分【本音:不安とプライド】法務・経営側の切り返しロジック【視点の転換】殺し文句(キラーフレーズ)【新しいキャリアの提示】
「マニュアルを作ったら、
私の存在価値がなくなります」
(雇用の不安)
【作業者からの卒業】
「あなたが作業に忙殺されていることが、会社にとっての損失です。誰でもできる仕事は手放して、あなたにしかできない『判断』や『育成』に回ってほしいのです」
「『プレイヤー』としてはもう十分です。
これからは業務フロー全体を設計する『アーキテクト(設計者)』になってください」
「私のやり方(Excel職人)が
一番速くて正確です」
(職人としてのプライド)
【個人の速さ vs 組織の強さ】
「確かにあなたの処理能力は凄まじい。ですが、もしあなたが倒れたらチームは全滅します。あなたのスキルを『個人の速さ』ではなく『組織の強さ(標準化)』に変えたいのです」
「その神業スピードを、自分だけで完結させるのはもったいない。
『誰がやっても80点が取れる仕組み』を作るのが、今のあなたの仕事です」
「この仕事は『阿吽の呼吸』や
『勘』が必要で、言語化できません」
(聖域化の主張)
【暗黙知の形式知化】
「その『勘』の正体は何ですか? 過去の経験則や、チェックすべきポイントがあるはずです。それを分解してチェックリストにすることが、リスク管理の第一歩です」
「あなたの頭の中にある『勘』という貴重な資産を、
会社の財産としてライブラリ化(遺産化)させてください」
「忙しくてマニュアルなんて
作っている暇はありません」
(現状維持バイアス)
【投資対効果の提示】
「今ここで10時間かけてマニュアルを作れば、来月から毎月30時間の作業時間が浮きます。その浮いた時間で、新しい企画や戦略業務に取り組めます」
「一生このルーチンワークをやり続けたいですか?
それとも、未来を作る仕事をしたいですか?」

構造変革:「作業者(Operator)」から「管理者(Manager)」へ

この説得のゴールは、社員の意識を以下の図式のようにシフトさせることです。

  • Before(属人化):
    • 価値の源泉 = 「私が手を動かすこと」
    • ポジション = 作業者(代替不可能だが、拡張性もない)
  • After(仕組化):
    • 価値の源泉 = 「チームが自走する仕組みを作ること」
    • ポジション = 管理者・戦略家(代替可能だが、より付加価値が高い)

法務担当者は、マニュアル作成を「面倒な残業」として押し付けるのではなく、**「昇進やキャリアアップのための必須要件」**として人事評価制度とセットで提示することが重要です。


4. まとめ:法務こそ「会社のOS」を設計するエンジニアだ

業務の仕組化・脱属人化は、地味で根気のいる作業です。 しかし、これが完了した時、会社は「個人の能力に依存する商店」から、「システムで利益を生み出す組織」へと進化します。

この組織変革を成し遂げた経験は、あなたの履歴書において「単に法務知識がある」以上に、**「スケーラブルな組織を作れるマネジメント人材」**として、強烈な輝きを放つはずです。

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